清野初代会長のお話
清野裕三初代会長が、昭和44年3月10日号の合気道新聞に書かれた記事(『合気道と素振り』)をノートに写していたので、紹介します。 この頃、清野初代会長は、合気道新聞に毎号のように記事を書かれていました。
「大分以前の事だが、道場で素振りをしているのを翁先生が御覧になって、『理合に合わない振り方をするなら、振らない方がよい』と言われたのを憶えている。 でたらめに振っていると我流になり、悪いくせがついて、かえってマイナスになると言う事だと思う。
木刀の素振りと言うと、只、簡単な反復動作の様な感じだが、これがどうしてどうして、すべての基本になるとすると、正しい教えを受けて、十年しなければ本当のものにはならないのではなかろうか。
木刀と身体と心が一つになる。そしてそれが心、技、体一致の形で表れるとなると、十年振っても、未だむずかしいと私は思う。
私は合気道をやる前に、長い事剣道をやっていた。然し合気道に入って、合気道の剣の使い方と、剣道の剣の振り方は、実際に大分違う事を知り、本部道場長、師範部長、斎藤師範、有川師範等に、 一年生になった積りで、剣道を忘れて教わったのである。
普段の体術による稽古が即ち剣を持つと合気剣法となる。然も突けば気が千里も先に出、振り下ろせば大地を切る。そんな心構えが必要であると教えられた。
翁先生の剣は剣道家、故羽賀準一先生が賞賛されていた。
些(いささ)か古い人達は、よく翁先生の剣の演武にひきつけられたものである。
そして、右手で木刀を差し出し、その先を横から押さしてびくともしないその呼吸力に感嘆した。今は師範になって外国に指導に行っている田村、野呂、千葉、菅野等の方々が五段位の時、 一生懸命に押していたのをよく憶えている。
即ち、剣を持てば剣が自分の身体の一部となる。身体以外の何ものでもないのだ。
即ち、体術と剣の一体となった姿であると思う。(略)
合気道でよく言われる様に腕を伸ばし手刀を張れば手の先に気が出、太刀を持てば、気が太刀の先に出て行かねばならない。
更に人と相対した時は、太刀先を通して、相手に気が出なければならない。
だから手の内の堅い人、太刀を腕の力で振っている人は、木刀を持った手のところで気は止って、合気の教えに反するのである。
太刀を振る時、支柱になるのは左手である。左手で充分伸び伸びと振り上げ(頭上約四十五度で止め、余り大きく下らない様にする。 余り後ろに下ると気が抜けるから)振り下りたところで太刀筋は稍々水平になる。剣先が水平より下るのは左手の使い方がおかしいと思ってよい。
呼吸力で切り下ろすのである。その時、右手に力が入ると全然いただけない。
右手に力が入ると、振りかぶった時、振り下ろした時等、太刀が傾いたり、ぐらついてきまらないし、真剣で切っても切れないのである。
右手は、正しい方向を定める役をするのである。(略)
肩を柔軟にして、力を入れず、あごをひいて背を真直ぐ伸ばし、頭は前むかず、後むかず、丹田に気を入れて身体が自然になると言う事である。 即ち自然体である。
そしてそれを、合気道なら合気道の時だけでなく、日常の中に合気道の心構え正しい姿勢を心がけることが大切であると言う教えである。」