ルイス・キャロルが書いた『不思議の国のアリス』を読んだことがありますか。
アリスは、二つの分かれ道に差しかかりました。道は両方ともその先に伸びていましたが、方向は逆でした。そこで、チェシャ猫に出会ったアリスは、「わたしはどっちの道を行けばいいの」と尋ねました。
アリス 「すみませんが、私はどちらの道に行ったら良いか教えていただけませんか」
チェシャ猫 「そりゃ、おまえがどこへ行きたいと思っているかによるね」
アリス 「どこだってかまわないんですけど・・・」
チェシャ猫 「どっちへ行きたいか分からなければ、どっちの道へ行ったって大した違いはないさ」
私たち人間は、みな平等に造られています。
歌を歌ったりスポーツをしたりするときの持っている才能は平等ではありません。
何かが欲しくて買いたいときに必要なお金も平等には与えられていません。
でも、どんな人になりたいとか、何をしたいとかという望みを持つことは誰にでも平等に与えられています。
望みを持つことで、必ず望んだとおりになったり出来たりするわけではありませんが、望みを持たないで、何かが出来たり何かになることは出来ません。
私は、望み(チェシャ猫の言葉で「どこへ行きたいと思っているか」)を持ったら、次の4つのことをすると望んだようになれると学びましたので、心掛けたいと思っています。
- 感謝の心を持つ(自分には才能がない、あの人のせいで出来ないと言わないで、今、与えられているものに感謝する)
- 学びたいという願望を持つ(出来ないのではないかと疑わずに、出来た時の喜びを想像して学ぶ)
- ひたすら自己修養に努める(正しいことを行えば悪い人にはならない、決断が将来を決める)
- 進んで努力する姿勢を身に付ける(できるだけ早く若いうちに努力することの大切さを知ると一生の宝になる)
私が高校生の時に、先生が原安三郎という学校の先輩の話をして下さいました。
3歳の時に関節炎になり、右腕と左脚に障害が残りました。私の高校の前身である旧制中学校に進学しましたが、体操の授業を受けられないことを理由に退学処分を受けました。しかし、たまたま視察に訪れた文部大臣の乗っている人力車の前に飛び出して直訴し、再入学が許可された、という話です。この直訴によって、身体にハンディのある人たちにも中学進学の道が開けたのです。
調べてみますと、その後、早稲田大学商学部を首席で卒業し、ある実力者から紹介され三井物産に入社の話が進みましたが、ここでも障害を理由に断られています。
それで、日本火薬製造という会社に入り、後に社長や会長を務めあげました。また、多くの経営不振の会社の再建にも手腕を発揮して「会社更生の名医」と賞賛されたそうです。
その原安三郎氏が、どちらの道を選んだかということについて話をしています。
「僕は学校を出たら実業界に就職を求めるつもりでいました。そのときの商科の科長は、僕を日銀に紹介してくれました。しかし、僕の気持ちとしては銀行に入るより、産業界に入りたい。広く銀行が大衆から集めた金を借りて、国に役立つ事業を育成していく仕事はさぞ面白かろうと思っていました」